書評「インド哲学10講」- インド哲学初心者におすすめ!-
ヨガを学び始めたら出てくる「ヨガ・スートラ」「バガヴァット・ギータ」「マハーバーラタ」。
これらの背景となる思想はいったいどんなものなんだろう?サーンキヤ哲学以外の思想にどのようなものがあるのだろう?と知りたくなったら、この一冊をまずお勧めします。
「インド哲学10講」(岩波新書)赤松明彦著
【あらすじ】
インド哲学を構成する主要な概念10個を解説する。主に世界のなりたち、存在と認識、物質と精神、業と因果、そして言葉それ自体についてフォーカスを当てながら、様々な学派の思想を紹介する。
【見どころ】
インド哲学のメインテーマは原始の始まりや、我々の存在・普遍的な存在のあり方についてです。難解なインド哲学を日本人になじみが深い仏教思想と絡めながらかみ砕いてわかりやすく示してくれます。
哲学・思想の紹介となると「○○派はこんな論があります。一方△△派では・・・」といったように単なる紹介にとどまることが多いかと思います。
ですが、この本では、「○○派だとこういっているが、このような矛盾がある。△△派でもそれを指摘しているが…」と言ったように各派の矛盾を読者に呼び掛けて次の学派の紹介をしているので比較的理解しやすいと思います。
また各派の知識を深めたい方には巻末に「読書案内」がついているのが嬉しいポイントです。
【感想】
インド哲学で面白いのは「この世のはじめ」についての探求が何世紀にも渡って続けられていたことだと思います。そこから派生してなぜ我々が存在しているのか、我々の本質が何なのか?という部分も徹底的に考えられてきたと思います。それが当時の人々の思想基盤であることも伺えました。哲学が宗教的な側面を持っていて、とても面白いと思います。
個人的には文法学の思想が好きです。夢枕獏先生の「陰陽師」の「呪」を思い出します。「言葉という「呪」をかけてしまったから、そうなってしまうのだ。」まさしくその通りです。夢枕獏先生も当時の仏教思想を背景に物語を作られていると思いますので、自分の中でインド哲学と仏教が合わさったということにとても感激しました。
ただ、インド哲学は「思想と自分たちの考えを矛盾なく一致させる」試みが至るところで見られるのがちょっと滑稽で人間臭さを感じました。ご都合主義のような部分もあるのかと思います。なので、これを唯一無二の思想だ!ということには抵抗を感じます笑
ですが、深堀するにはとても面白いと思います!!次はシャンカラやパーニニの著書解説本が気になるところです。
【目次】
第1講 インド哲学のはじまりと展開
第2講 存在と意識
第3講 存在の根源
第4講 二元論の展開(サーンキヤ派)
第5講 因果論と業論
第6講 現象と存在(シャンカラの思想)
第7講 生成と存在
第8講 言葉と存在(言葉はブラフマンである)
第9講 存在と非存在
第10講 超越と存在
【各用語のまとめ】
インド最古の文献「リグ・ヴェーダ」。ほかに「サーマ・ヴェーダ」「ヤジュル・ヴェーダ」「アタルヴァ・ヴェーダ」「アタルヴァ・ヴェーダ」→ヴェーダ祭典の決まり事を示す(祭事部)。ミーマーンサー派はこれらの解釈学的な学問を行う。ウパニシャッドはヴェーダ文献の最後に位置し、宇宙の原理や人間の本質について探求(知識部)。
ウパニシャッド代表思想家の一人が、ウッダーラカ・アールニ(息子もいる)。
ウッダーラカの思想…「原初の一者(=ブラフマン)が自己増殖していく」・熱・水・食料が基本構成・原初の一者が物質に入り込み存在となる・本質が本来一であるものが個別化しているのは「言葉による把捉」(分節化)であり、諸物質が存在する基盤は「言葉」
サーンキヤ派…世界は精神原理プルシャと物質原理プラクリティからなる二元論を説く。ヨーガ・スートラやマハーバーラタにの中にもサーンキヤ的な様々な主張を見ることができる。「因中有果論(=原因のうちにす結果は存在する)」を展開。原因はサットヴァ・ラジャス・タマスという諸要素にある。ヨーガの実践により、心を滅することでプルシャの本来の状態である解脱に到達する
ヴェーダーンタ派…ブラフマンがこの世の動因力であり、質料因(サーンキヤのプラクリティに相当)」とする一元論を説く。バーダナーヤナが開祖。根本経典は「プラフマ・スートラ」。
代表的な思想家はシャンカラ(8世紀)。シャンカラは不二一元論を説く。「絶対的な実在のレベル」においては最高位のブラフマンだけが存在し、現象界の諸事物はすべて虚妄である。すべての原因が不変のブラフマンにあるのではなく、存在しない。世界を創造するといわれているイーシュヴァラは下位のブラフマンであり、現象界に多様な物質が現れるのもイーシュヴァラが様々な限定を受けた結果であるが、すべて虚妄である。シャンカラは「因中有果論」を擁護し、「因中無果論」を批判。
ヴァイシェーシカ派…「因中無果論」を説く。地・水・火・風の4種の原子がこの世界の根本原因。一者の存在はない。「原因としての実体」である原子が集まって「結果としての別の実体」を作り出す。観念があり、言葉があり、概念がある限りそれが指し示すものは実在する。6世紀に現れたプラシャスタパーダによって体系化。プラシャスタパーダは「不可見力」が原子に働きかけて運動が生じ、原子が結合させると説く。世界創造時はイーシュヴァラが知性ある不可見力となり原子を結合させたとも説く。
ニヤーヤ派…無因論。論理学。神(イーシュヴァラ)が動力因。神が業(カルマ)の働きに対して公平な配分を保証する正義として働く。「神力も業力に勝たず」を支持しない。「新得力」を概念としてよく用いる(ヴァイシェーシカ派の「不可見力」と似た概念)
ローカーヤタ派…唯物論的な傾向を持つ。来世の存在を否定
ミーマーンサー派…ヴェーダ祭典中心の伝統的な世界観を持つ。祭典を行うことで天国に生まれる。祭典(お布施)をして効力をためこみ、天国に行く。子孫が祭典を行う限り、天国にとどまるが、効力がなくなってしまうとこの世に生まれ変わるという思想。輪廻転生の概念はある。
業…前世所作原因説。ただ、前世で現世の行いがすべて決まっているならば、現世で良い行いをしたところで報われないのでは?ただ、不幸を幸に、苦を楽に転換しうる(もしくは)原因が現世でも生まれてくるので、すべて決まっているのはおかしい。業の働きに人間的自由意志や行為が反映される。業の原理は因果性、道徳性、超越性(来世への生まれ変わり)を要素とする。これはインド的な発想でもある。
文法学派…ヴェーダ聖典を正しく理解するための補助学として文法学が発展。パーニニがサンスクリット語の文法体系をまとめた。一時衰退したものの、バルトルハリによって、文法学派が復興。不変のブラフマンが観念のうちに多様に変成(変身)すると説く。ブラフマンは不変であるが、我々の観念が変わるから捉え方も変わり、変わったかのように見える。それはまるで言葉のように、同じ概念・事象を表す言葉が様々に変化するが普遍的な概念は同じであることと同一である。
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