アシュタンガヨガの練習に「答え」はない
アシュタンガヨガの練習を通じて、最近感じることは
自分を含めて「正解を求めたり規則を守ることにこだわる傾向強い」こと。
例えば、今の身体の動かし方があっているか?先生に答えを求める。週6絶対練習する、ベジタリアンであることを他人に求めるなど。
皆さん、よく考えてください
「果たしてアシュタンガヨガが生まれたインドでそんなきっちりかっちり実践しているか?」
絶対されてないでしょう(笑)
ベジタリアンは宗教上守られていると思いますが、違う宗教の方には押し付けはしないでしょう。
私はこう思います。
何が正解か答えはない、守るべきものはない、自分で最適な状態を見つける。そしてそれを自分の中に留めておく。
わかっているのですが、正解を求めてしまいます・・・(笑)
ヨガを実践するといかにこのシステムが「東洋的」だと分かります。
西洋のように論理の上に成り立ったものではなく、東洋的な経験型だといえます。
東洋においては、言葉で理解するのではなく、経験により理解します。
そんな東洋的経験型のヨガに言葉による答えを求めても解はあるわけはありません。
それよりも「経験」する中で何か発見があるかもしれない、と思ってヨガをするとプラクティスがさらに深まるかもしれませんね。
0コメント