言語化は難しい、けれどすごく重要。
何かを推進するにあたって「言語化できているかどうか」が分かれ道だと感じる今日この頃です。
例えば、哲学。
哲学の本を読むと、「あ、これ私が考えていたことだ!」と思える思想に出会うことがあります。
では、なぜ私はその考えていたことを世に出さなかったのでしょうか?
なぜその思想について深堀しなかったのでしょうか?
それは「言語化できていなかったから」だと思います。
皆さんの中にも「漠然とした思い」がきっとあると思います。
それを言語化できた時に初めて他の人に伝えられたり、その思想をさらに深める動作が可能になってきます。
実はこれってアシュタンガヨガの実践でも同じだったりします。
「なんだかわからないけれど、うまくできた」というアーサナがあったとします。
この時点ではなぜこのアーサナがうまくできたのか言語化できていないので、他のアーサナへの応用が難しいです。
でも、なぜうまくできたか?言語化できると他のアーサナでも試せますし、難なくこなすこともできるかと思います。
指導をする上でも同じです。
なんだかうまくいかない…という方が目の前にいらっしゃったときに、その体を分析し言語化できていれば、解決策を得られることが多いです。
この言語化。多くのメリットがあると思いますが・・・実践が難しい!
人間はすぐに怠けてしまうので、意識しないと言語化することを忘れて流れに身を任せてしまいます。
言語化するのはあくまでの手段なので、その先に何を目的とするか?きちんと定義できていれば自ずとできそうな気がします。
目的の再定義からですね!
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