「自己の確立と、世界との一体感の消失」を感じる日々
最近ようやく私を取り巻く周囲の環境を一歩引いて眺められるようになってきたと感じます。
小さい頃は私と世界そのものは一体化していて、日常の些細な風景も自分だった気がしています。
例えば、夕暮れの雰囲気だったり、おじいちゃんが居間で虫退治をしていたり…
その時の感情や空気・匂いがありありと思い出すことができ、うまく説明できないのですが、
「自分と環境が一体化」していたと思います。
翻って今は環境そのものに左右されることはほとんどないです。
外界は外界、私は私。
36年間生きてきて、ようやく外と中のバリアを張り終えたなと感じます。
年を経るとはこういうことなんだなーと感じます。
しかし、ヴェーダでは自分と世界は本質的に一つだと語られます。
ということは私が感じている自己とは何なんでしょうか?
年を経て感じている「世界との一体感の消失」はもしや間違った認識なのでしょうか。
パソコンで考えてみたいと思います。
小さい頃は私世界というOSそのものでした。Kernelから与えられる情報をただただ処理していました。
そしていつの間にかKernelになっていました。OSとアプリケーションの橋渡しをする係です。アプリケーションは自分の五感です。アプリケーションからのInputで行動が変わります。
ついに私はアプリケーションになったのではないかと思います。アプリケーションを作るときは、OSやKernelをそこまで考えないのですが、あるのが当たり前になっています。そしてそれぞれ疎結合です。
感じるレイヤーが変わってきたなと感じる日々です。
私の感情をかきとめたく、ブログに残した次第です。
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